【第21則】


   二十一 雲門屎橛

雲門、因僧問、如何是佛。門云、乾屎橛。
無門曰、雲門可謂、家貧難辨素食、事忙不及草書。動便將屎橛來、撐門挂戸。佛法興衰可見。

    頌曰
  閃電光 撃石化
  貶得眼 巳蹉過


  二十一 雲門の屎(し)橛(けつ)
雲門、因みに僧問う、「如何なるか是れ仏」。門云く、「乾(かん)屎橛」。

無門曰く、雲門謂(いつ)つべし、家貧にして素食(そじき)を弁じ難く、事忙(せわ)しうして草書するに及ばずと。動(やや)もすれば便ち屎橛を将(も)ち来たって、門をささえ戸を挂(さそ)う。仏法の興衰見る可し。

    頌に曰く
閃電光(せんでんこう)、撃石化(げきせっか)
眼を貶得(さっとく)すれば、巳に蹉過(さか)す。



僧『ホトケとは何ぞや?』
雲門『ひからびたウンチさ』



十八則の【洞山三斤】と同じく、『如何なるか是れ仏』の問い。その洞山の師匠が雲門和尚で、十五則【洞山三頓】でこの師弟の会話があった」
「洞山はホトケとは『麻三斤』だ、と言ったけど、さすが雲門は師匠だけあって徹底してるなあ。ウンチ、やもんなあ・・・・・・。これは、きれいなモノとかきたないモノとかいう分別を捨てよ、ということか。『麻三斤』と同じく、縁起なんかの考え方かね」
「ぼくは多少ちがうニュアンスを感じるけど。十五則の【洞山三頓】のとき、雲門の『お前はどこにいたんだね?』という問いは、場所を聞いたわけじゃなくて、『お前はお前自身から離れてしまっているではないか』と言っているんではないだろうかとボクは思った。今回の問答も<ホトケ=ウンチ>というふうに対象化して見るんでなくて、<ホトケ=ウンチ=お前(つまり、われわれ)>と、じぶん自身のこととして考えないといけないんではないだろうか」
「げえ~。ボクらはウンチみたいなもんやいうんかあ」
「みたいなもん、じゃなくてウンチそのものや、と言ってるのだ」
「ひどい・・・・・・」
「いや、雲門は逆説的にボクらを励ましているのや。
『オマエさんたち、生きていく上で挫折もあろう、負けるときもあろう。ときには世の中にとって自分が無価値な存在、ダメ人間であると感じるときもあろう。しかし、そんなダメなオマエさんたちひとりひとりが、じつはホトケそのものなのだ。だから、けっして絶望するなヨ』
と」


  『旅人かえらず』より  西脇順三郎

十二月の末頃
落ち葉の林にさまよう
枯れ枝には既にいろいろの形や色どりの
葉の蕾が出ている
これは都の人の知らないもの
枯れ木にからむつる草に
億万年の思いが結ぶ
数知れぬ実がなつている
人の生命より古い種子が埋(うず)もれている
人の感じ得る最大な美しさ
淋しさがこの小さい実の中に
うるみひそむ
かすかにふるえている
このふるえている詩が
本当の詩であるか
この実こそ詩であろう
王城にひばり鳴く物語も詩でない





誰が忘れて行つたのか
この宝石
この極光(きょっこう)の恋を





心の根の互(たがい)にからまる
土の暗くはるかなる
土の永劫は静かに眠る
種(たね)は再び種になる
花を通り
果(み)を通り
人の種も再び人の種となる
童女の花を通り
蘭草(らんそう)の果を通り
この永劫の水車
かなしげにまわる
水は流れ
車はめぐり
また流れ去る

無限の過去の或時(あるとき)に始まり
無限の未来の或時に終わる
人命の旅
この世のあらゆる瞬間も
永劫の時間の一部分
草の実の一粒も
永劫の空間の一部分
有限の存在は無限の存在の一部分
この小さい庭に
梅の古木 さるすべり
樫 山茶花 笹
年中訪れる鶯 ほほじろなどの
小鳥の追憶の伝統か
ここは昔広尾ヶ原
すすき真白く穂を出し
水車の隣りに茶屋があり
旅人のあんころ餅ころがす
この曼陀羅の里
若き水鳥の飛立つ
花を求めて実を求めず
だが花は実を求める
実のための花にすぎぬ



「『臨済録』(臨済和尚は二則【百丈野狐】の黄蘗の弟子、臨済宗の祖)に似たようなハナシがある」


上堂。云く、「赤肉団上(しゃくにくだんじょう)に一無位(むい)の真人(しんにん)有って、常に汝等諸人の面門(めんもん)より出入りす。未だ証拠せざる者は看よ看よ」。
時に僧有り、出でて問う、「如何なるか是無位の真人」。
師、禅牀(ぜんじょう)を下って把住(はじゅう)して云く、「道(い)え道え」。 
其の僧擬議す。
師托開(たっかい)して、「無位の真人是れ什麼(なん)の乾屎橛(けつ)」ぞ、と云って便ち方丈に帰る。


(臨済が)法堂の壇上に登って言った。

『その生身のカラダに、なんの世間的な位をもたない真実の人間がいて、常にオマエたちの眼や耳や口から出たり入ったりしている。まだしっかりと見とどけていない者は、見ろ!見ろ!』
ひとりの僧が進み出て言う、
『位をもたない真実の人間、とは何者ですか?』
臨済は椅子から降りるや僧の胸ぐらをつかまえてせまった。
『さあ、オマエの思うところを言え!言ってみよ!』
僧はたじろいだ。臨済は僧を突き放して、
『なに、ひからびたウンチなのさ』
と言い捨てて、居室に引きあげた。

「臨済はこんなことも言ってる。『更莫外求。物來即照』」
「『更に外に求むることなかれ。物来たらば即ち照らせ』」
「うん。じぶんの外に価値を求めるな、みずからが光となって世界を照らせ------ということかと思う」


   1998/12/18


二十二【迦葉刹竿】


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Last-modified: 2021-01-31 (日) 11:44:00