【第38則】
三十八 牛過窓櫺
五祖曰、譬如水牯牛過窓櫺、頭角四蹄都過了、因甚麼尾巴過不得。
無門曰、若 向者裏顛倒、著得一隻眼、下得一轉語、可以上報四恩下資三有。其或未然、更須照顧尾巴始得。
頌曰
過去墮抗壍 回來却被壞
者些尾巴子 直是甚奇怪
三十八 牛、窓櫺(そうれい)を過ぐ
五祖曰く、「譬えば水コ牛の窓櫺を過ぐるが如き、頭角四蹄(ずかくしたい)都(す)べて過ぎ了るに、因ってか尾巴(びは)過ぐることを得ざる」。
無門曰く、「若し者裏に向かって顛倒(てんどう)して、一隻眼を著け得、一転語を下し得ば、以って上四恩に報じ、下三有(しもさんぬ)を資(たす)くべし。其れ或いは未だ然らずんば、更に須らく尾巴を照顧して始めて得ばし」。
頌に曰く
過ぎ去れば抗ザンに堕ち、回り来たれば却って壊(やぶ)らる。
者些(しゃし)の尾巴子(びはす)、直に是れ甚だ奇怪なり。
法演 『たとえば水牛が通り過ぎるのを窓の格子ごしに見ているとしよう。頭が通り過ぎる。続いて角が、前脚が、後ろ脚が通り過ぎた。ところが、しっぽだけがいつまでたっても通り過ぎない。どうゆうことだろう』
「<窓>ってなんや?そして、その窓で行方不明になった<牛のしっぽ>とは?」
「ココロは開けても開けても部屋のない扉。痛い窓」
『Nu』 田村隆一
窓のない部屋があるように
心の世界には部屋のない窓がある
蜜蜂の翅音
ひき裂かれる物と心の皮膚
ある夏の日の雨の光り
そして死せる物のなかに
あなたは黙って立ちどまる
まだはっきりと物が生れないまえに
行方不明になったあなたの心が
窓のなかで叫んだとしても
ぼくの耳は彼女の声を聴かない
ぼくの眼は彼女の声を聴く
1999/04/17
→三十九【雲門話墮】