#author("2021-01-19T12:39:06+01:00","","") #author("2021-01-31T11:40:28+09:00","default:minoru","minoru") #menu(mumonkanMenu) 【第15則】 > ''十五 洞山三頓''~ ''雲門、因洞山參次、門問曰、近離甚處。山云、査渡。門曰、夏在甚處。山云、湖南報慈。門曰、幾時離彼。山云、八月二十五。門曰、放汝三頓棒。山至明日却上問訊。昨日蒙和尚放三頓棒。不知過在甚麼處。門曰、飯袋子、江西湖南便恁麼去。山於此大悟。'' ''無門曰、雲門、當時便與本分草料、使洞山別有生機一路、家門不致寂寥。一夜在是非海裏著到、直待天明再來、又與他注破。洞山直下悟去、未是性燥。且問諸人、洞山三頓棒、合喫不合喫。若道合喫、草木叢林皆合喫棒。若道不合喫、雲門又成誑語。向者裏明得、方與洞山出一口氣。'' ~ ''頌曰'' ''獅子教兒迷子訣 擬前跳躑早翻身'' ''無端再敍當頭著 前箭猶輕後箭深''~ ~ 十五 洞山の三頓(さんとん)~ 雲門、因みに洞山の参ずる次(つい)で、門、問うて曰く、「近離甚れの処ぞ」。 山云く、「査渡(さと)」。門曰く、「夏(げ)、甚れの処にか在る」。山云く、「湖南の報慈(ほうず)」。門曰く、「幾時か彼(かしこ)を離る」。山云く、「八月二十五」。門曰く、「汝に三頓の棒を放(ゆる)す」。山、明日に至って 却(かえ)って上って問訊(もんじん)す。「昨日、和尚三頓の棒を放すことを蒙る。知らず、過(とが)甚麼(いずれ)の処にか在る」。門曰く、「飯袋子(はん たいす)、江西湖南(こうぜいこなん)便ち恁麼(いんも)にし去るか」。山、此に於いて大悟す。~ 無門曰く、「雲門、当時(そのかみ)、便ち本分の草料を与えて、洞山をして別に生機(さんき)の一路あって、家門をして寂寥を致さざらしむ。一夜是非海裏(かいり)に在って著倒(じゃくとう)し、直に天明を待って再来するや、又た他(かれ)の与(ため)に注破す。洞山直下(じきげ)に悟り去るも、未だ是れ性燥(しょうそう)ならず。且く諸人に問う、洞山三頓の棒、喫すべきか喫すべからずか。若し喫すべしと道わば、草木叢林皆な棒を喫すべし。若し喫すべからずと道わば、雲門又た誑語(おうご)を成す。者裏に向かって明め得ば、方(まさ)に洞山の与に一口(いっくの)気を出さん」。~ 頌に曰く 獅子、児を教う迷子(めいし)の訣(けつ)、前(すす)まんと擬して跳躑(ちょうちゃく)して早く翻身す。 端(はし)無く再び敍(の)ぶ当頭著(とうとうじゃく)、前箭(ぜんせん)は猶お軽く、後箭は深し。 ~ 「 洞山は求道のココロザシを抱いて雲門和尚のもとにやってきた。その初対面の会話。~ > 雲門「アンタはこのごろ何処にいたのかね?」 洞山「査渡にいました」 雲門「夏のころは何処にいたのかね?」 洞山「湖南の報慈寺にいました」 雲門「・・・。いつ、そこを離れたのかね?」 洞山「八月二十五日です」 雲門「こいつめ!六十棒を食らわせてやろうか」~ 翌朝、洞山は改めて和尚を訪れた。~ 洞山「昨日、あなたはわたしを打ちたたいてやりたいと言われました。わたしにはわかりません。一体、何が間違っていたのでしょうか」 雲門「オロカ者!これまでにお前はどこをウロツいていたというんじゃ!」~ 洞山はこのときすべてを悟った。 ~ ”何処に”といったって、場所を聞いたわけじゃないと思う。『いつ、お前はお前自身から離れてしまったのか』という問いかけだったのに、洞山はウワの空で的外れの答えをしている。それで雲門和尚は怒ったんではないやろうか?」 「『茶碗をちゃワんと洗いなさい』(七則【趙州洗鉢】)か」 「『照顧脚下』、と書いて壁に貼っておこうかなあ」 ~ > >> 『誰かをさがすために』 室生犀星~ > 『誰かをさがすために』 室生犀星~ きょうもあなたは 何をさがしにとぼとぼ歩いているのです、 まだ逢ったこともない人なんですが その人にもしかしたら きょう逢えるかと尋ねて歩いているのです、 逢ったこともない人を どうしてあなたは尋ね出せるのです、 顔だって見たことのない他人でしょう、 それがどうして見つかるとお思いなんです、 いや まだ逢ったことがないから その人を是非尋ねだしたいのです、 逢ったことのある人には わたくしは逢いたくないのです、 あなたは変った方ですね、 はじめて逢うために人を捜しているのが そんなに変に見えるのでしょうか、 人間はみなそんな捜し方をしているのではないか、 そして人間はきっと誰かを一人ずつ、 捜しあてているのではないか。 ~ 1998/12/11 ~ →[[十六【鐘聲七條】>MUMONKAN/鐘聲七條]]