#author("2021-01-19T12:47:55+01:00","","") #author("2021-01-31T12:29:43+09:00","default:minoru","minoru") #menu(mumonkanMenu) 【第34則】 > ''三十四 智不是道''&br; ''南泉云、心不是佛、智不是道。'' ''無門曰、南泉可謂、老不識羞。纔開臭口、家醜外揚。然雖如是、知恩者少。''&br; ''頌曰'' ''天晴日頭出 雨下地上濕'' ''盡情都説了 只恐信不及'' ~ 三十四 智不是道&br; 南泉云く、「心は是れ仏にあらず、智は是れ道にあらず」。&br; 無門曰く、「南泉謂つべし、老いて羞(はじ)を識らずと。纔(わずか)に臭口(しゅうく)を開けば、家醜外(かしゅうほか)に揚がる。是くの如くなりと雖も、恩を知る者は少なし」。&br; 頌に曰く 天晴れて日頭出(にっとうい)で、雨下って地上湿(うるお)う。 情を尽くして都(すべ)て説き了る、只だ恐る信不及(しんふぎゅう)なることを。 &br; >''南泉和尚は言った。『ココロはホトケではない。智は道ではない』'' &br; 「『祖堂集』より、南泉のコトバ、 &br; >多くの人は心をブッダと見、知を道と考えている。見聞覚知、すべてブッダであるという。そういうことなら、ヤージュニャダッダが自分で自分の顔を探したのとおなじでないか。たとえ見つけだしても、けっして君たち自身じゃない。 (柳田聖山訳) &br; 二十七則の【不是心佛】と同じ。解説書など読むと南泉の思想にてらして、あらゆる分別心を去って・・・・・・などと書いてるけど。ボクは例のごとく、これも 自己言及の不可能性のモンダイとして興味があるな」 &br; > >> 『寺山修司青春歌集』より&br; > 『寺山修司青春歌集』より&br; わがカヌーさみしからずや幾たびも他人の夢を川ぎしとして &br; 海よその青さのかぎりなきなかになにか失くせしままわれ育つ &br; 見るために両瞼をふかく裂かむとす剃刀の刃に地平をうつし &br; 一本の木を世界としそのなかへきみと腕組みゆかんか 夜は &br; 青空より破片あつめてきしごとし愛語を言えりわれに抱かれて &br; 町の遠さを帯の長さではかるなり呉服屋地獄より嫁ぎきて &br; 濁流に捨て来し燃ゆる曼珠沙華あかきを何の生贄とせむ &br; この家も誰かが道化者ならん高き塀より越えでし羽揚 &br; ある日われ蝙蝠傘を翼としビルより飛ばむかわが内脱けて &br; かくれんぼの鬼とかれざるまま老いて誰をさがしにくる村祭 &br; 人生はただ一問の質問にすぎぬと書けば二月のかもめ &br; みずうみを見てきしならむ猟銃をしずかに置けばわが胸を向き &br; 一本の樫の木やさしそのなかに血は立ったまま眠れるものを &br; 海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり &br; 1999/02/08 &br; [[→三十五【倩女離魂】>MUMONKAN/倩女離魂]]