MUMONKAN/趯倒淨瓶
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【第40則】
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''四十 趯倒淨瓶''&br;
''潙山和尚、始在百丈會中充典座。百丈、將選大潙主人。乃請...
''無門曰、潙山一期之勇、爭奈跳百丈圈圚不出、撿點將來、便...
''頌曰''
''𩗺下笊籬并木杓 當陽一突絶周遮''
''百丈重關欄不住 脚尖趯出佛如麻''
~
四十 趯倒浄瓶(てきとうじんびん)&br;
潙山(いさん)和尚、始め百丈の会中に在って典座(てんぞ)に充(...
百丈、遂に浄瓶(じんびん)を拈じ、地上に置いて問を設けて云...
首座乃ち云く、「喚んで木𣔻(ぼくとつ)と作すべからず」。
百丈、却って山に問う。山乃ち浄瓶をテキ倒して去る。
百丈笑って云く、「第一座(ぞ)、山子(さんす)に輸却せらる」...
因って、之れに命じて開山と為す。&br;
無門曰く、「潙山一期の勇、争奈(いかん)せん百丈の圏圚(けん...
頌に曰く
笊籬(そうり)并びに木杓(もくしゃく)を𩗺(よう)下して、当陽...
&br;
>''百丈和尚は大潙山に僧堂を開くにあたって、その住持となる...
&br;
''百丈『これを浄瓶と呼んではいかん。さあ、なんとか呼んで...
&br;
''すると、首座の善覚が進み出て、''
&br;
''善覚『さあて、木のかけらともいえません』''
&br;
''と言った。百丈は霊祐に、オマエさんはどうだ、と問いかけ...
&br;
''百丈『善覚よ、霊祐の野郎にやられちまったな』''
&br;
''百丈は霊祐を大潙山の住持とした。''
&br;
「これは、十四則の【南泉斬猫】のように『おまえは何者だ?...
「ぼくは、二十九則の【非風非幡】のときにあったやろう、あ...
「あのハナシをアレンジしたものかもしれんね。善覚の『さあ...
「一度、死ね。と」
「そういうふうに読みたいと思う。ところで、このエピソード...
「恵能派(南宗禅)と神秀派(北宗禅)は対立してたそうだしね」
&br;
>
> 『人民党宣言----愛をこめて、詩人たちへ』 ローレンス...
詩人たちよ 納戸からでてきて
窓を開けたまえ、ドアを開けたまえ
諸君は閉ざされた世界の穴ぐらに
長くこもりすぎた
下りてこい 下りてこい
ラッシャンヒルズからテレグラフヒルズから
ビーコンヒルズからチャペルヒルズから
ブルックリンハイツからモンパルナスから
それぞれの丘や山から下りてこい
人が小屋に火をつけブタをやくのを
みる暇はない
ローマが燃える時
ハレ・クリシュナを唄っていられない。
サンフランシスコは燃えている
マヤコフスキイのモスクワは燃えている
生命の固形燃料が。
夜の騎士が近づき
光りと熱とエネルギーをたべている。
雲はズボンをはいている
今はもう芸術家が高みにかくれ
この光景のむこうに、裏に
無関心に、爪を切っては
存在の純化をしている暇はない。
今はもうチッポケな文学ゲームの暇はない
今はもうパラノイアや憂うつ病の暇はない
恐れやのろいの暇はない
今こそ光りと愛の時だ。
わたしたちは見た わたしたちの世代の最高の精神たちが
詩朗読会の倦怠に破壊されるのを。
詩は秘密結社ではない。
それは神殿でもない。
秘密のことばと唱詠も役に立たない。
ウムムの時は終わった
スワの時がくる
地球と人類にわるい
産業文明の終末の到来に
スワとよろこぶ時だ。
今は顔を外にむけ
たっぷりと涅槃のカタチをして
眼を大きく開いて
今は口をいっぱいに開いて
新しい開かれたことばをしゃべり
すべて知覚ある存在と交感する時だ
すべての「都市詩人たち」
博物館にかざられ、私もそのひとり
詩についての詩をかいている
すべての詩人の詩人たち
すべての作詩講座の詩人たち
すべての家を崩壊したエズラ・パウンドたち
すべてのとびだし、ズッコケ、ばらばら詩人たち
すべての強調しすぎな具体詩詩人たち
すべての
すべてのグラフティにうめき声をあげる有料トイレ詩人たち
すべてのカバの木ではスイングしないA列車詩人たち
アメリカのシベリヤ地方のすべての製材所俳句の宗匠たち
すべての盲目の非現実主義者たち
すべての自己陶酔超シュールリアリストたち
すべてのベッドルーム見者たちと
物置アジプロ専門家たち
すべてのグルーチョ・マルクス詩人たちと
終日ゴロゴロしながら
労働者階級プロレタリアートについて語る
有閑階級同志たち
すべてのカトリック、アナキスト詩人たち
すべてのブラックマウンテン登山家詩人たち
すべてのボストン・ブラーミンとポリーナス田園詩人たち
すべての洞穴母性詩人たち
すべての禅僧兄弟詩人たち
すべての自殺志願愛好者たち
アメリカのありがたき波止場 心臓部で
すべての毛むくじゃら詩歌教授先生方
詩人の血を吸う
すべての詩評論家たち
すべての詩警察----
はげしいホイットマンのこどもたちがいるところ
偉大な声が優しさと尊厳をもって
よびかけているところ
偉大な新しいヴィジョン
偉大な世界観
この広大な地球の
高遠な予言的うたと
そこで うたうものすべて
それにつながるわたしたちの関係----
詩人たちよ ふたたび
この世の街頭にくだれ
昔ながら目に映る歓喜にあふれ
諸君の心と眼をあけたまえ
セキばらいして さあ語りだせ
詩は死んでいる おそろしい眼と
バファローのたくましさをもつ詩よ 万歳
口ごもるのをやめて声をあげたまえ
新しい全開の詩で
新しいみんなに共感的「大衆表出」で
ほかの主観的レベルで
ほかのうらがえし的レベルで
内側の耳にひびいている三つ又を
表面の下までつきさせ。
きみのすてきな自己について今もうたえ
今も語れ「群衆のコトバ」を----
詩はみんなののりもの
大衆をはこぶもの
ほかののりものでは運べないほどの
高みまでつれていく。
今も 詩は空から降ってくる
まだ開かれている街頭に。
まだバリケードはつくられていない
街頭には生きた顔がある
愛すべき男たちと女たちが歩きまわってる
まだ愛すべき生きものがどこにでもいる
そこに埋まってるすべてのものの
すべての秘密の眼にはみえる
はげしいホイットマンのこどもたちはそこにねむっている
目を覚ませ 開かれた大気の中を歩め。
&br;
(中山容訳)
&br;
1999/04/20
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→[[四十一【達磨安心】>MUMONKAN/達磨安心]]
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【第40則】
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''四十 趯倒淨瓶''&br;
''潙山和尚、始在百丈會中充典座。百丈、將選大潙主人。乃請...
''無門曰、潙山一期之勇、爭奈跳百丈圈圚不出、撿點將來、便...
''頌曰''
''𩗺下笊籬并木杓 當陽一突絶周遮''
''百丈重關欄不住 脚尖趯出佛如麻''
~
四十 趯倒浄瓶(てきとうじんびん)&br;
潙山(いさん)和尚、始め百丈の会中に在って典座(てんぞ)に充(...
百丈、遂に浄瓶(じんびん)を拈じ、地上に置いて問を設けて云...
首座乃ち云く、「喚んで木𣔻(ぼくとつ)と作すべからず」。
百丈、却って山に問う。山乃ち浄瓶をテキ倒して去る。
百丈笑って云く、「第一座(ぞ)、山子(さんす)に輸却せらる」...
因って、之れに命じて開山と為す。&br;
無門曰く、「潙山一期の勇、争奈(いかん)せん百丈の圏圚(けん...
頌に曰く
笊籬(そうり)并びに木杓(もくしゃく)を𩗺(よう)下して、当陽...
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>''百丈和尚は大潙山に僧堂を開くにあたって、その住持となる...
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''百丈『これを浄瓶と呼んではいかん。さあ、なんとか呼んで...
&br;
''すると、首座の善覚が進み出て、''
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''善覚『さあて、木のかけらともいえません』''
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''と言った。百丈は霊祐に、オマエさんはどうだ、と問いかけ...
&br;
''百丈『善覚よ、霊祐の野郎にやられちまったな』''
&br;
''百丈は霊祐を大潙山の住持とした。''
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「これは、十四則の【南泉斬猫】のように『おまえは何者だ?...
「ぼくは、二十九則の【非風非幡】のときにあったやろう、あ...
「あのハナシをアレンジしたものかもしれんね。善覚の『さあ...
「一度、死ね。と」
「そういうふうに読みたいと思う。ところで、このエピソード...
「恵能派(南宗禅)と神秀派(北宗禅)は対立してたそうだしね」
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>
> 『人民党宣言----愛をこめて、詩人たちへ』 ローレンス...
詩人たちよ 納戸からでてきて
窓を開けたまえ、ドアを開けたまえ
諸君は閉ざされた世界の穴ぐらに
長くこもりすぎた
下りてこい 下りてこい
ラッシャンヒルズからテレグラフヒルズから
ビーコンヒルズからチャペルヒルズから
ブルックリンハイツからモンパルナスから
それぞれの丘や山から下りてこい
人が小屋に火をつけブタをやくのを
みる暇はない
ローマが燃える時
ハレ・クリシュナを唄っていられない。
サンフランシスコは燃えている
マヤコフスキイのモスクワは燃えている
生命の固形燃料が。
夜の騎士が近づき
光りと熱とエネルギーをたべている。
雲はズボンをはいている
今はもう芸術家が高みにかくれ
この光景のむこうに、裏に
無関心に、爪を切っては
存在の純化をしている暇はない。
今はもうチッポケな文学ゲームの暇はない
今はもうパラノイアや憂うつ病の暇はない
恐れやのろいの暇はない
今こそ光りと愛の時だ。
わたしたちは見た わたしたちの世代の最高の精神たちが
詩朗読会の倦怠に破壊されるのを。
詩は秘密結社ではない。
それは神殿でもない。
秘密のことばと唱詠も役に立たない。
ウムムの時は終わった
スワの時がくる
地球と人類にわるい
産業文明の終末の到来に
スワとよろこぶ時だ。
今は顔を外にむけ
たっぷりと涅槃のカタチをして
眼を大きく開いて
今は口をいっぱいに開いて
新しい開かれたことばをしゃべり
すべて知覚ある存在と交感する時だ
すべての「都市詩人たち」
博物館にかざられ、私もそのひとり
詩についての詩をかいている
すべての詩人の詩人たち
すべての作詩講座の詩人たち
すべての家を崩壊したエズラ・パウンドたち
すべてのとびだし、ズッコケ、ばらばら詩人たち
すべての強調しすぎな具体詩詩人たち
すべての
すべてのグラフティにうめき声をあげる有料トイレ詩人たち
すべてのカバの木ではスイングしないA列車詩人たち
アメリカのシベリヤ地方のすべての製材所俳句の宗匠たち
すべての盲目の非現実主義者たち
すべての自己陶酔超シュールリアリストたち
すべてのベッドルーム見者たちと
物置アジプロ専門家たち
すべてのグルーチョ・マルクス詩人たちと
終日ゴロゴロしながら
労働者階級プロレタリアートについて語る
有閑階級同志たち
すべてのカトリック、アナキスト詩人たち
すべてのブラックマウンテン登山家詩人たち
すべてのボストン・ブラーミンとポリーナス田園詩人たち
すべての洞穴母性詩人たち
すべての禅僧兄弟詩人たち
すべての自殺志願愛好者たち
アメリカのありがたき波止場 心臓部で
すべての毛むくじゃら詩歌教授先生方
詩人の血を吸う
すべての詩評論家たち
すべての詩警察----
はげしいホイットマンのこどもたちがいるところ
偉大な声が優しさと尊厳をもって
よびかけているところ
偉大な新しいヴィジョン
偉大な世界観
この広大な地球の
高遠な予言的うたと
そこで うたうものすべて
それにつながるわたしたちの関係----
詩人たちよ ふたたび
この世の街頭にくだれ
昔ながら目に映る歓喜にあふれ
諸君の心と眼をあけたまえ
セキばらいして さあ語りだせ
詩は死んでいる おそろしい眼と
バファローのたくましさをもつ詩よ 万歳
口ごもるのをやめて声をあげたまえ
新しい全開の詩で
新しいみんなに共感的「大衆表出」で
ほかの主観的レベルで
ほかのうらがえし的レベルで
内側の耳にひびいている三つ又を
表面の下までつきさせ。
きみのすてきな自己について今もうたえ
今も語れ「群衆のコトバ」を----
詩はみんなののりもの
大衆をはこぶもの
ほかののりものでは運べないほどの
高みまでつれていく。
今も 詩は空から降ってくる
まだ開かれている街頭に。
まだバリケードはつくられていない
街頭には生きた顔がある
愛すべき男たちと女たちが歩きまわってる
まだ愛すべき生きものがどこにでもいる
そこに埋まってるすべてのものの
すべての秘密の眼にはみえる
はげしいホイットマンのこどもたちはそこにねむっている
目を覚ませ 開かれた大気の中を歩め。
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(中山容訳)
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1999/04/20
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