Bergson's Theory of Art by T.E.Hulme(2)
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#menu(SekainosironMenu)
-Sekainosiron
**ヒューム「ベルグソンの芸術論」(2)
#contents
*1 [#nd81db2f]
#ref(Narcissus_CARAVAGGIO.jpg,center);
&br;
>「……十九世紀においては、詩人は文明からの逃避者として現わ...
近代詩から現代詩にいたる約百年間における詩人の社会的役...
(鮎川信夫「『燼灰』のなかから――T.E.ヒュー...
&br;
鮎川信夫(1920-1986)は第二次世界大戦後の日本における---い...
彼もまたヒュームやエリオットから強い影響を受け、春山行夫...
鮎川は「現実の生に対する源泉的感情を失ったところに、優れ...
鮎川は、日本のシュルレアリスト(モダニスト)の表現方法につ...
この鮎川の指摘に対して、北川透は著書『詩的レトリック』の...
&br;
>「鮎川の指摘には、たしかに正しい一面がある。しかし、<無...
([[北川透「詩的レトリック」:思潮社:https:...
&br;
この鮎川(および荒地派の詩人たちが共有していたと考えられる...
いったい鮎川信夫や他の荒地派の詩人たち、たとえば吉本隆明...
&br;
>「自然発生的な詩人の場合は、どんな風景でも心を素通りして...
(鮎川信夫「現代詩作法」)
&br;
「今日の詩人は心で風景をさえぎ」る、批評意識を持たねばな...
&br;
>「僕たちが書いてきた詩の暗さについては、十年も前から、い...
&br;
「僕たちの投影の意味が暗く、いつも幻滅的であったというこ...
&br;
「僕等の詩は幻滅的な現代の風景を愛撫する。僕等の感受性は...
(鮎川信夫「現代詩とは何か」)
&br;
鮎川は「僕等の詩は幻滅的な現代の風景を愛撫する」とここ...
荒地派、ひいては戦後詩を代表するスポークスマンであった鮎...
鮎川信夫のこの文章について、寺山修司(1935-1983)は「疑似悲...
&br;
>
「私は長い間、鮎川信夫の『僕等の詩は幻滅的な現代の風景を...
私にはこの時代が、決して避けられない必然の下に暗い様相...
&br;
「私は疑似悲劇的な多くの詩人に、なじみがたいものを感じた...
&br;
「……こうした露出狂的な死の時代の賛歌は、他人に『話しかけ...
&br;
([[寺山修司「戦後詩―ユリシーズの不在」:...
&br;
「…自分もまた、幻滅の中にまきこまれている一客体にすぎない...
マクルーハンはここで、ナルキッソスが泉に映った「自分自身...
&br;
>
「ギリシアのナルキッソス神話は、そのナルキッソスという名...
&br;
…この神話の要点は、人間がじぶん以外のものに拡張された自分...
&br;
…もしそのイメージが自分自身の拡張あるいは反復であると知っ...
&br;
([[マーシャル・マクルーハン「メディア...
&br;
マクルーハンの言う、自己を映し出し拡張するメディア(詩人...
荒地派はモダニズムの無意味無内容性を批判して「意味の回復...
荒地派の詩人たちのコトバの感覚麻痺がいかに重傷であったか...
荒地派はヒュームの言う「新鮮な比喩」の創造を詩人の特権的...
片桐ユズルは詩論集『詩のことばと日常のことば』(思潮社)の...
&br;
>
「 苛烈がきざみこまれた路のうえに
九月の病んだ太陽がうつる
蟻のようにちいさなぼくたちの嫌悪が
あなぐらのそこに這いこんでゆく
黄昏れのほうへ むすうのあなぐらのほうへ
ぼくたちの危惧とぼくたちの破局のほうへ
太陽は落ちてゆくように視える
&br;
…よくワカル。しかし、ちっともオモシロクナイ。ここに非常に...
&br;
…このマジメな詩人は、彼の重大な認識を表わすのに、唯一の方...
&br;
「荒地の詩人たちは死隠喩(たとえば「春の訪れ」のように日常...
&br;
「じつは知覚の仕方そのものが、メタファーのプロセスなのだ...
&br;
…バカ言っちゃいけない、机の「アシ」が歩き出し、針の「目」...
&br;
「一番わるい迷信は――メタファーはコトバの使い方のうちでも...
&br;
「われわれが生まれつき持っているメタファーの能力を尊重し...
&br;
([[片桐ユズル「詩のことばと日常のことば...
&br;
荒地派のコトバの病いは『Xへの献辞』というエッセイにもあら...
『Xへの献辞』は「現代は荒地である」という一節で知られた、...
現代は荒地であり、ヒューマニズムの無秩序と混乱と、唯物的...
言い換えれば、宗教的倫理や伝統や権威をささえるべきものと...
そして、そのためには詩は「言葉の鎧」であったり、「巧緻な...
「親愛なるX…」と鮎川はコトバを重ねます。詩を書くというこ...
そして、以上のような、コトバの完全なるハタラキへの信頼---...
この高名なマニフェストを読んでぼくが抱くのは、「言葉への...
問題にされているのは、あくまでもコトバの「意味」の面での...
&br;
*2 [#p1de5c3e]
西脇順三郎は「詩的な美」とは何か、について次のように言い...
&br;
>「その存在は一つの抽象的な、眼にみえない理論的な(譬えれ...
(「現代詩の意義」)
&br;この「関係のフォルム」とはすなわち「新しいイメージ」...
&br;
>「ヒュームの説の如く、創造的努力というのは新しいイメージ...
…イメージの世界が美となる根本的の要素は、通常の経験の世界...
(「詩の感覚性」)
&br;新しいイメージをつくることが詩の重要なハタラキである...
&br;
>「ヒュームは詩に対してイメージの世界を主張はしているが、...
…エリオットの詩は種々の詩人やその他の文学から種々の世界の...
&br;
「その理由は、メタフォルのために使用されている間は、イメ...
&br;
「未だ表現というようなことを考えているのは昔の詩人芸術家...
&br;
「イメージの世界は最早、表現形態として使用しているのでな...
…我々は単にそのイメージの世界を感覚すればそれでよい。それ...
(「詩の感覚性」)
&br;
このように何ものも象徴しない、思いがけない、無意味な、イ...
当然、ここには荒地派が求めるような「思想性」も「批評」も...
&br;
>ポエジイはすべての価値批判を超脱しているから人間の脳髄を...
ポエジイはこの事実によって人間の精神的な救済であろう。...
ポエジイは人間の感じ得る最大な哀愁の美である。ただこの...
ポエジイの目的はポエジイである。
&br; ([[西脇順三郎「詩學」14:筑摩叢書:http...
&br;
由良君美の「回想の西脇順三郎」( http://www.keio-up.co.jp...
その内容は「西脇教授は、『荒地』をエリオットの、全くのふ...
土居を怒らせた---西脇による『荒地』翻訳の〈あとがき〉---...
&br;
>「エリオット氏はこの詩に関しては近来稀れにみるparodyの詩...
&br;土居光知や鮎川信夫のようなマジメなひとたちにとっては...
西脇にとって『荒地』はまず、「意識の流れ」の手法を大胆か...
&br;
>「エリオットの詩の美は一つの場面、一行の文句としての美で...
…遠いものゝ結合の面白味から生じた詩的美である。」
&br;
「近代ヨーロッパ社会の精神的瓦解の問題も含まれてはいるが...
…何か一つの思想をわれわれに語るのでなく、ただそうした組み...
「パヴローヴァという有名なダンサーに、そのおどりの意味を...
&br; ([[西脇順三郎「エリオット」:研究社出...
&br;
『ノンセンスの領域』の著者、エリザベス・シューエルは、「...
&br;
>「総合をめがける傾向は、一切御法度(タブー)とされる。知性...
&br;「『鏡の国のアリス』の「女王アリス」の章で白の女王が...
&br; ([[エリザベス・シューエル「ノンセンス...
&br;ありとあらゆる不可思議ことが起こりうるが、そこに隠さ...
答えのないなぞなぞ、白紙のルールブックを持った厳格な審判...
鮎川信夫が、現代の詩は「猫に胡弓を取り付けた玩具」であっ...
&br;
>Hey diddle diddle,
The cat and the fiddle
The cow jumped over the moon;
The little dog laughed
To see such sport,
And the dish ran away with the spoon.
&br;
へっこら、ひょっこら、へっこらしょ。
ねこが胡弓ひいた、
めうしがお月さまとびこえた、
こいぬがそれみてわらいだす、
お皿がおさじをおっかけた。
へっこら、ひょっこら、へっこらしょ。
([[「まざあ・ぐうす」[訳]北原白秋:https://amzn.to...
&br;
鮎川は、深瀬基寛がエリオットの「J・アルフレッド・プルーフ...
&br;
>「この『接続詞のない世界』という観念は、たしかに現代詩の...
(「現代詩作法」)
&br;
しかし、それは「現代文明の危機」などというよりは、エリオ...
&br;
>「『荒地』はエリオット氏が醇乎たるノンセンスに一番近いと...
してみるとこの詩の有名な断片化(fragmentation)も、現代世界...
「詩全体を支えるためにキャロル的な典型的枠組みが利用され...
(「ノンセンスの領域」)
&br;
あまりにもマジメすぎコトバを窒息させてしまった荒地派の詩...
ぼくが詩を書き始めた十代---むかしむかし三十年以上も前のこ...
それは、内容が重いから、深刻だから読むのがつらい…というわ...
ウィキペディアの「現代詩」の項目( http://ja.wikipedia.or...
たかがウィキペディア、しかも他にもつっこみどころが多々あ...
&br;
>「法律への違反は論理的に法律の存在なしに成立しえない。さ...
すなわち、私たちの日常言語は、実はノンセンス言語に(反面...
「明治以来私たちの国をおおかた支配しつづけてきた、かぎり...
その上でさらに、実は私たちのすべてが少しずつ両棲類なの...
([[佐藤信夫「わざとらしさのレトリック」:講...
&br;
われわれがコトバの手足を存分にのばし、その真の健全さをと...
&br;
>言葉の病いは疎外である。一方、言葉の遊びは異化である。詩...
&br; ([[種村季弘「ナンセンス詩人の肖像」:...
*3 [#u1857ded]
寺山修司二十歳のおりのエッセイ(「カルネ---<俳句絶縁宣言>...
北園は「幾何学的な芸術、T.E.ヒュームのオピニヨンに共通し...
&br;
>詩が知性と感性のバランスによって構成されること、そのバラ...
…それらの詩は、ポエジイそのものの純粋な表現であって、観念...
(北園克衛「詩における私の実験」)
&br;
でも一方では、パウンド等に日本の俳句が強い影響を与えたこ...
十代のころすでに寺山は先輩俳人の句の中からお気に入りの単...
&br;
>「寺山修司にとって俳句とは、言葉の錬金術を楽しむべき容器...
…とすれば、五七五という枠のなかに投げ入れられる言葉は、寺...
「寺山修司は俳優の肉体を驚くべき仕方で組み立ててみせる。...
…だが、寺山修司の演劇は人形劇にすぎないなどと批判すること...
…手が義手であり足も義足であるとすれば、それは人形なのだろ...
「『私』とは何か、『主体』とは何か。…この問いは、寺山修司...
それは句や歌の作者とはなにかという問いと踵を接している...
([[三浦雅士『寺山修司---鏡のなかの言葉』:...
&br;
寺山修司の劇団「天井桟敷」の旗揚げは1967年。その劇団員募...
その第二回公演『大山デブコの犯罪』について寺山はこう書い...
&br;
>「私にとって、この作品の台本はどうでもいいのであり、要す...
([[寺山修司「戯曲 青森県のせむし男」:角...
&br;
ここには1960年前後からさかんにおこなわれるようになった「...
スーザン・ソンタグ(1933-2004)によればハプニングのひとつの...
&br;
>「ハプニングに登場する人間は、麻布の袋や丹念に作られた紙...
…ハプニングの行為の多くは、暴力的なものであれ、その他のも...
…単純な動作が、何度も何度も繰り返して続けられ、ほとんど気...
([[スーザン・ソンタグ「ハプニング---ラディカルな...
&br;
さらにソンタグはハプニングはもちろん二十世紀のあらゆる芸...
&br;
>「これらすべての芸術におけるシュルレアリスム的伝統は、あ...
(同書)
&br;
そしてこの感性には「ある種の情熱的非芸術を喜ぶ傾向」があ...
&br;
>近代文明の産物のなかで、空虚で時代遅れで影が薄くなったも...
(同書)
&br;
寺山修司は初期の天井桟敷を回想して「私は見世物からメイエ...
「アルトーは、私の演劇の入門書」(『消しゴム---自伝抄』)と...
ソンタグはそのアントナン・アルトー(1896-1948)の演劇論こそ...
&br;
>「悲劇と同じように、喜劇も必ず生贄(スケイプゴート)---罰...
&br;
このソンタグの「ハプニング---ラディカルな併置の芸術」を読...
「天井桟敷」は海外では高い評価を受けながら日本では「アン...
そして演劇だけでなく詩の世界においても寺山修司の評価とい...
[[『寺山修司コレクション2 毒薬物語』(思潮社):https://amz...
&br;
>「…言葉の操作に、人間ではなく何か機械的な物の触手を感じ...
人形めいたといいかえてもいい。この機械的な言語操作が、...
観念の反転、空語、逆説、アフォリズム、パロディーといっ...
(荒川洋治「詩人寺山修司」)
&br;
親しくつきあった谷川俊太郎でさえ「寺山は現代詩にはいいも...
&br;
&br;
(補足)
劇団「天井桟敷」についてあれこれ書いていてなんですが、そ...
そしていまでもそのことに対する後悔の念というものは不思議...
ぼくにとって寺山修司とは、ただ彼のコトバであれば充分、な...
&br;
----
&tag(寺山修司);
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#menu(SekainosironMenu)
-Sekainosiron
**ヒューム「ベルグソンの芸術論」(2)
#contents
*1 [#nd81db2f]
#ref(Narcissus_CARAVAGGIO.jpg,center);
&br;
>「……十九世紀においては、詩人は文明からの逃避者として現わ...
近代詩から現代詩にいたる約百年間における詩人の社会的役...
(鮎川信夫「『燼灰』のなかから――T.E.ヒュー...
&br;
鮎川信夫(1920-1986)は第二次世界大戦後の日本における---い...
彼もまたヒュームやエリオットから強い影響を受け、春山行夫...
鮎川は「現実の生に対する源泉的感情を失ったところに、優れ...
鮎川は、日本のシュルレアリスト(モダニスト)の表現方法につ...
この鮎川の指摘に対して、北川透は著書『詩的レトリック』の...
&br;
>「鮎川の指摘には、たしかに正しい一面がある。しかし、<無...
([[北川透「詩的レトリック」:思潮社:https:...
&br;
この鮎川(および荒地派の詩人たちが共有していたと考えられる...
いったい鮎川信夫や他の荒地派の詩人たち、たとえば吉本隆明...
&br;
>「自然発生的な詩人の場合は、どんな風景でも心を素通りして...
(鮎川信夫「現代詩作法」)
&br;
「今日の詩人は心で風景をさえぎ」る、批評意識を持たねばな...
&br;
>「僕たちが書いてきた詩の暗さについては、十年も前から、い...
&br;
「僕たちの投影の意味が暗く、いつも幻滅的であったというこ...
&br;
「僕等の詩は幻滅的な現代の風景を愛撫する。僕等の感受性は...
(鮎川信夫「現代詩とは何か」)
&br;
鮎川は「僕等の詩は幻滅的な現代の風景を愛撫する」とここ...
荒地派、ひいては戦後詩を代表するスポークスマンであった鮎...
鮎川信夫のこの文章について、寺山修司(1935-1983)は「疑似悲...
&br;
>
「私は長い間、鮎川信夫の『僕等の詩は幻滅的な現代の風景を...
私にはこの時代が、決して避けられない必然の下に暗い様相...
&br;
「私は疑似悲劇的な多くの詩人に、なじみがたいものを感じた...
&br;
「……こうした露出狂的な死の時代の賛歌は、他人に『話しかけ...
&br;
([[寺山修司「戦後詩―ユリシーズの不在」:...
&br;
「…自分もまた、幻滅の中にまきこまれている一客体にすぎない...
マクルーハンはここで、ナルキッソスが泉に映った「自分自身...
&br;
>
「ギリシアのナルキッソス神話は、そのナルキッソスという名...
&br;
…この神話の要点は、人間がじぶん以外のものに拡張された自分...
&br;
…もしそのイメージが自分自身の拡張あるいは反復であると知っ...
&br;
([[マーシャル・マクルーハン「メディア...
&br;
マクルーハンの言う、自己を映し出し拡張するメディア(詩人...
荒地派はモダニズムの無意味無内容性を批判して「意味の回復...
荒地派の詩人たちのコトバの感覚麻痺がいかに重傷であったか...
荒地派はヒュームの言う「新鮮な比喩」の創造を詩人の特権的...
片桐ユズルは詩論集『詩のことばと日常のことば』(思潮社)の...
&br;
>
「 苛烈がきざみこまれた路のうえに
九月の病んだ太陽がうつる
蟻のようにちいさなぼくたちの嫌悪が
あなぐらのそこに這いこんでゆく
黄昏れのほうへ むすうのあなぐらのほうへ
ぼくたちの危惧とぼくたちの破局のほうへ
太陽は落ちてゆくように視える
&br;
…よくワカル。しかし、ちっともオモシロクナイ。ここに非常に...
&br;
…このマジメな詩人は、彼の重大な認識を表わすのに、唯一の方...
&br;
「荒地の詩人たちは死隠喩(たとえば「春の訪れ」のように日常...
&br;
「じつは知覚の仕方そのものが、メタファーのプロセスなのだ...
&br;
…バカ言っちゃいけない、机の「アシ」が歩き出し、針の「目」...
&br;
「一番わるい迷信は――メタファーはコトバの使い方のうちでも...
&br;
「われわれが生まれつき持っているメタファーの能力を尊重し...
&br;
([[片桐ユズル「詩のことばと日常のことば...
&br;
荒地派のコトバの病いは『Xへの献辞』というエッセイにもあら...
『Xへの献辞』は「現代は荒地である」という一節で知られた、...
現代は荒地であり、ヒューマニズムの無秩序と混乱と、唯物的...
言い換えれば、宗教的倫理や伝統や権威をささえるべきものと...
そして、そのためには詩は「言葉の鎧」であったり、「巧緻な...
「親愛なるX…」と鮎川はコトバを重ねます。詩を書くというこ...
そして、以上のような、コトバの完全なるハタラキへの信頼---...
この高名なマニフェストを読んでぼくが抱くのは、「言葉への...
問題にされているのは、あくまでもコトバの「意味」の面での...
&br;
*2 [#p1de5c3e]
西脇順三郎は「詩的な美」とは何か、について次のように言い...
&br;
>「その存在は一つの抽象的な、眼にみえない理論的な(譬えれ...
(「現代詩の意義」)
&br;この「関係のフォルム」とはすなわち「新しいイメージ」...
&br;
>「ヒュームの説の如く、創造的努力というのは新しいイメージ...
…イメージの世界が美となる根本的の要素は、通常の経験の世界...
(「詩の感覚性」)
&br;新しいイメージをつくることが詩の重要なハタラキである...
&br;
>「ヒュームは詩に対してイメージの世界を主張はしているが、...
…エリオットの詩は種々の詩人やその他の文学から種々の世界の...
&br;
「その理由は、メタフォルのために使用されている間は、イメ...
&br;
「未だ表現というようなことを考えているのは昔の詩人芸術家...
&br;
「イメージの世界は最早、表現形態として使用しているのでな...
…我々は単にそのイメージの世界を感覚すればそれでよい。それ...
(「詩の感覚性」)
&br;
このように何ものも象徴しない、思いがけない、無意味な、イ...
当然、ここには荒地派が求めるような「思想性」も「批評」も...
&br;
>ポエジイはすべての価値批判を超脱しているから人間の脳髄を...
ポエジイはこの事実によって人間の精神的な救済であろう。...
ポエジイは人間の感じ得る最大な哀愁の美である。ただこの...
ポエジイの目的はポエジイである。
&br; ([[西脇順三郎「詩學」14:筑摩叢書:http...
&br;
由良君美の「回想の西脇順三郎」( http://www.keio-up.co.jp...
その内容は「西脇教授は、『荒地』をエリオットの、全くのふ...
土居を怒らせた---西脇による『荒地』翻訳の〈あとがき〉---...
&br;
>「エリオット氏はこの詩に関しては近来稀れにみるparodyの詩...
&br;土居光知や鮎川信夫のようなマジメなひとたちにとっては...
西脇にとって『荒地』はまず、「意識の流れ」の手法を大胆か...
&br;
>「エリオットの詩の美は一つの場面、一行の文句としての美で...
…遠いものゝ結合の面白味から生じた詩的美である。」
&br;
「近代ヨーロッパ社会の精神的瓦解の問題も含まれてはいるが...
…何か一つの思想をわれわれに語るのでなく、ただそうした組み...
「パヴローヴァという有名なダンサーに、そのおどりの意味を...
&br; ([[西脇順三郎「エリオット」:研究社出...
&br;
『ノンセンスの領域』の著者、エリザベス・シューエルは、「...
&br;
>「総合をめがける傾向は、一切御法度(タブー)とされる。知性...
&br;「『鏡の国のアリス』の「女王アリス」の章で白の女王が...
&br; ([[エリザベス・シューエル「ノンセンス...
&br;ありとあらゆる不可思議ことが起こりうるが、そこに隠さ...
答えのないなぞなぞ、白紙のルールブックを持った厳格な審判...
鮎川信夫が、現代の詩は「猫に胡弓を取り付けた玩具」であっ...
&br;
>Hey diddle diddle,
The cat and the fiddle
The cow jumped over the moon;
The little dog laughed
To see such sport,
And the dish ran away with the spoon.
&br;
へっこら、ひょっこら、へっこらしょ。
ねこが胡弓ひいた、
めうしがお月さまとびこえた、
こいぬがそれみてわらいだす、
お皿がおさじをおっかけた。
へっこら、ひょっこら、へっこらしょ。
([[「まざあ・ぐうす」[訳]北原白秋:https://amzn.to...
&br;
鮎川は、深瀬基寛がエリオットの「J・アルフレッド・プルーフ...
&br;
>「この『接続詞のない世界』という観念は、たしかに現代詩の...
(「現代詩作法」)
&br;
しかし、それは「現代文明の危機」などというよりは、エリオ...
&br;
>「『荒地』はエリオット氏が醇乎たるノンセンスに一番近いと...
してみるとこの詩の有名な断片化(fragmentation)も、現代世界...
「詩全体を支えるためにキャロル的な典型的枠組みが利用され...
(「ノンセンスの領域」)
&br;
あまりにもマジメすぎコトバを窒息させてしまった荒地派の詩...
ぼくが詩を書き始めた十代---むかしむかし三十年以上も前のこ...
それは、内容が重いから、深刻だから読むのがつらい…というわ...
ウィキペディアの「現代詩」の項目( http://ja.wikipedia.or...
たかがウィキペディア、しかも他にもつっこみどころが多々あ...
&br;
>「法律への違反は論理的に法律の存在なしに成立しえない。さ...
すなわち、私たちの日常言語は、実はノンセンス言語に(反面...
「明治以来私たちの国をおおかた支配しつづけてきた、かぎり...
その上でさらに、実は私たちのすべてが少しずつ両棲類なの...
([[佐藤信夫「わざとらしさのレトリック」:講...
&br;
われわれがコトバの手足を存分にのばし、その真の健全さをと...
&br;
>言葉の病いは疎外である。一方、言葉の遊びは異化である。詩...
&br; ([[種村季弘「ナンセンス詩人の肖像」:...
*3 [#u1857ded]
寺山修司二十歳のおりのエッセイ(「カルネ---<俳句絶縁宣言>...
北園は「幾何学的な芸術、T.E.ヒュームのオピニヨンに共通し...
&br;
>詩が知性と感性のバランスによって構成されること、そのバラ...
…それらの詩は、ポエジイそのものの純粋な表現であって、観念...
(北園克衛「詩における私の実験」)
&br;
でも一方では、パウンド等に日本の俳句が強い影響を与えたこ...
十代のころすでに寺山は先輩俳人の句の中からお気に入りの単...
&br;
>「寺山修司にとって俳句とは、言葉の錬金術を楽しむべき容器...
…とすれば、五七五という枠のなかに投げ入れられる言葉は、寺...
「寺山修司は俳優の肉体を驚くべき仕方で組み立ててみせる。...
…だが、寺山修司の演劇は人形劇にすぎないなどと批判すること...
…手が義手であり足も義足であるとすれば、それは人形なのだろ...
「『私』とは何か、『主体』とは何か。…この問いは、寺山修司...
それは句や歌の作者とはなにかという問いと踵を接している...
([[三浦雅士『寺山修司---鏡のなかの言葉』:...
&br;
寺山修司の劇団「天井桟敷」の旗揚げは1967年。その劇団員募...
その第二回公演『大山デブコの犯罪』について寺山はこう書い...
&br;
>「私にとって、この作品の台本はどうでもいいのであり、要す...
([[寺山修司「戯曲 青森県のせむし男」:角...
&br;
ここには1960年前後からさかんにおこなわれるようになった「...
スーザン・ソンタグ(1933-2004)によればハプニングのひとつの...
&br;
>「ハプニングに登場する人間は、麻布の袋や丹念に作られた紙...
…ハプニングの行為の多くは、暴力的なものであれ、その他のも...
…単純な動作が、何度も何度も繰り返して続けられ、ほとんど気...
([[スーザン・ソンタグ「ハプニング---ラディカルな...
&br;
さらにソンタグはハプニングはもちろん二十世紀のあらゆる芸...
&br;
>「これらすべての芸術におけるシュルレアリスム的伝統は、あ...
(同書)
&br;
そしてこの感性には「ある種の情熱的非芸術を喜ぶ傾向」があ...
&br;
>近代文明の産物のなかで、空虚で時代遅れで影が薄くなったも...
(同書)
&br;
寺山修司は初期の天井桟敷を回想して「私は見世物からメイエ...
「アルトーは、私の演劇の入門書」(『消しゴム---自伝抄』)と...
ソンタグはそのアントナン・アルトー(1896-1948)の演劇論こそ...
&br;
>「悲劇と同じように、喜劇も必ず生贄(スケイプゴート)---罰...
&br;
このソンタグの「ハプニング---ラディカルな併置の芸術」を読...
「天井桟敷」は海外では高い評価を受けながら日本では「アン...
そして演劇だけでなく詩の世界においても寺山修司の評価とい...
[[『寺山修司コレクション2 毒薬物語』(思潮社):https://amz...
&br;
>「…言葉の操作に、人間ではなく何か機械的な物の触手を感じ...
人形めいたといいかえてもいい。この機械的な言語操作が、...
観念の反転、空語、逆説、アフォリズム、パロディーといっ...
(荒川洋治「詩人寺山修司」)
&br;
親しくつきあった谷川俊太郎でさえ「寺山は現代詩にはいいも...
&br;
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(補足)
劇団「天井桟敷」についてあれこれ書いていてなんですが、そ...
そしていまでもそのことに対する後悔の念というものは不思議...
ぼくにとって寺山修司とは、ただ彼のコトバであれば充分、な...
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