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【第29則】
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   ''二十九 非風非幡''&br;
''六祖、因風𩗺刹幡。有二僧、對論。一云、幡動。一云、風動。往復曾未契理。祖云、不是風動、不是幡動、仁者心動。二僧悚然。''
''無門曰、不是風動、不是幡動、不是心動、甚處見祖師。若向者裏見得親切、方知二僧買鐵得金。祖師忍俊不禁、一場漏逗。''&br;
    ''頌曰''
  ''風幡心動 一状領過''
  ''只知開口 不覺話墮''
~
  二十九 風に非ず、幡(はた)に非ず&br;
六祖、因みに風刹幡(せっぱん)をアぐ。二僧有り、対論す。
一は云く、「幡動く」。
一は云く、「風動く」。
往復して曾(かっ)て未だ理に契(かな)わず。
祖云く、「是れ風の動くにあらず、是れ幡の動くにあらず、仁者(にんじゃ)が 心動くのみ」。
二僧悚然(しょうぜん)たり。&br;
無門曰く、「是れ風の動くにあらず、是れ幡の動くにあらず、是れ心の動くにあらず、甚れの処にか祖師を見ん。若し者裏に向かって見得して親切ならば、 方(まさ)に二僧、鉄を買って金を得るを知る。祖師忍俊不禁(にんしゅんふきん)にして、一場の漏逗(ろうとう)なり」。&br;
    頌に曰く
風幡心動、一状に領過す。
只だ口を開くことを知って、話堕(わだ)することを覚えず。


&br;
「二十三則【不思善惡】のエピソードのあと恵能は逃亡生活を送っていた。十五年後・・・・・・。広州の法性寺というところで印宗というひとが涅槃経の講義をしていた。そのとき寺の旗がひらひらと揺れなびいた。

&br;
>''僧A『ハタが動いた』''
''僧B『風が動いた』''
''ふたりの僧は風だ、いやハタだ、とお互いにゆずらない。それを見て聴衆のなかにいた恵能が言った。''
''恵能『アナタたちのココロが動いた』''

&br;
禅宗五祖弘忍が恵能に嗣法するにいたる有名なエピソードがある。弘忍はじぶんの後継者を決めるにあたって門人たちにひとつのテストを出した。弟子たちにみずからの境涯を詩にして差し出せというものだった。神秀という高弟が次のような偈を壁に書きつけた。

&br;
>この身は菩提樹のように清く
このココロも明鏡のように清い
この清らかな法身をみがきにみがいて
けっして塵などよせつけるなよ

&br;
門人たちはみなこの詩を読んで感嘆し、神秀こそ法を得るだろうと思った。ところが恵能だけは、この詩に不満だったんだな。じぶんも詩を差し出そうとした。ところがかれは字を知らない。そこでひとに頼んでやはり壁に書きつけてもらった。

&br;
>菩提にもともと樹などなし
明鏡にもともと置き場などなし
本来無一物
どこに塵がつくだろう

&br;
恵能は無学なひとであった、と言われている。
知識とは比較と分別のタマモノだから、まあ相対的なものだ。恵能の『本来無一物』というのは『<相対的知識>は持たない』という意味でもあったと思う。神秀は教養があり、高潔な人柄でみなから尊敬された立派なひとだったが、立派すぎて賢すぎて、かえって世間なみのモノサシにとらわれている。マジメすぎるのだ。ひとの本性は菩提樹のように、明鏡のように清浄な法身なのだから、これを汚さぬようにしろという。それに対して恵能は、菩提樹だの明鏡だのといったカタチにとらわれるなという。もともと空(くう)であれば、塵もつきようがないやろう、という」
「風は無心に風やし、ハタは無心にハタ。なのにココロだけが、風になったりハタになったり、ウロウロしてるんとちがうかい、ということかな?」


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>>  『赤い縞のあるバラッド』 北園克衛&br;
>  『赤い縞のあるバラッド』 北園克衛&br;
夢はひとつのガラスです
たとえば日曜日の正午の夢の
なかにふる雨
濡れて
いる天国的なビニィルの雨のコォト
&br;
スティヂの夜の鏡のなか
にいつまでもひとりのこつて
いる運命のモノロォグ
&br;
六月の真昼
の雨
のレェスのなかに
音もなく割れていく孤独のガラス

&br;
   1999/02/03


&br;
→[[三十【即心即佛】>MUMONKAN/即心即佛]]

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