#author("2024-07-03T00:39:37+09:00","default:minoru","minoru") #author("2025-07-25T23:54:14+09:00","default:minoru","minoru") [[Poetry in Movies]] #menu(Poetry in Movies) *【映画の中の詩】『誘拐魔』(1947) &br;&br; CENTER:#htmlinsert(youtube.htm,id=pVfCUzKICXM) **フィルム・ノワールが咲かせた「悪の華」。&br;犯人はボードレール? ダグラス・サーク監督。 警察に送られてくる奇妙な詩。その内容どおりに若い女性の連続失踪事件が起こる。 その詩の特徴から警察は犯人はボードレールに心酔していると推理する。 ロバート・シオドマク監督『罠』(1939)のリメイク作品。 元になった『罠』(PIÈGES)は『悪魔が夜来る』(マルセル・カルネ監督)のマリー・デア主演のフランス映画。 ハリウッド映画でありながらボードレールが事件を解明する鍵になっているのはそのせいでしょうか。 でも『罠』の方は送られて来る手紙は同じですが特にボードレールと関連付けられるわけではありません。 制作陣のなかにボードレールが好きな人がいたのか、それとも英訳者であるアルフレッド・ダグラス(オスカー・ワイルドのパートナー)のファンがいたのか? 引用されているのはボードレールの「Harmonie du soir(夜のハーモニー)」という『悪の華』のなかの詩らしきもの。というのも元の詩にはないようなフレーズも混ぜてあるようなのです。 一応アルフレッド・ダグラスの英訳がベースになっていると思うのですが、わたしの知識ではよくわかりません。 ボードレールの原詩では「Le ciel est triste et beau comme un grand reposoir」というフレーズが2度繰り返されるのですが、直訳すると「空は悲しくも美しい大きな休息所」です。 これをアルフレッド・ダグラスは映画の中で朗読されるように「A shrine of Death and Beauty is the sky」=「空は死と美の神殿です」というふうに訳しています。仏語「triste」を「desth(死)」と訳しているからなのですが普通の英訳では「sad(悲しい)」となるところです。 日本語ではどう訳されているかというと >「夕空は悲し美し、大祭壇をたださながら」(福永武彦) 「空ははかなく、美くしく、大祭壇をそのまゝに」(金子光晴) 「御空は悲しく美わしく大祭壇をさながらに」(村上菊一郎) となっていてやはり「悲しい」というのが普通の訳のようで、「死」というのはちょっと変わった訳なのかもしれません。 でもこの映画の鍵とするには都合が良かったので取り入れられたのでしょうか。 全体に詩の引用に関してはいかにもB級映画的なご都合主義な印象です。 主演は「B級映画の女王」ルシル・ボール。 『アイ・ラブ・ルーシー』等のテレビのコメディでも知られたひとなので、彼女が演じると殺人がテーマの映画にも関わらず、深刻になりすぎないところがとてもいいです。 賛否はあるでしょうが。 参考リンク: 福永武彦訳 「夕べの階調」 https://dl.ndl.go.jp/pid/1695087/1/78 金子光晴訳 「暮れ方のハーモニー」 https://dl.ndl.go.jp/pid/1690969/1/34 村上菊一郎 訳 「暮方の階調」 https://dl.ndl.go.jp/pid/1697095/1/42 &br;&br; 〈追記 2025年1月15日〉 CENTER:#htmlinsert(youtube.htm,id=cZadIrmY-Pg) ***”嫉妬の目は緑色だ” ━━━ P.B.シェリー ここで囁かれるセリフ、「Jealousy's eyes are green」(嫉妬の目は緑色)というのは、p.b.シェリーの『暴君スウェルフット』という詩にでてくる表現なのですが、英語で「嫉妬深い人」を意味する”Green-eyed monster”というシェイクスピア(『オセロ』)由来の慣用句があるので、それを言いかえただけとも取れます。 が、このシーンの最後に、「殺人詩人(poet killer)事件による犠牲者」という新聞記事が映し出されるのを見ると、この人物がシェリーの詩を引用する詩人肌の男であることを示すことで事件との関係をほのめかしたい、という意図でシェリーを引用させた、と考えられます。 しかしそうすると彼に犯人の疑いがかかった時に最初の動画内で事件の担当警部は「彼は女性にしか興味がない。詩なんて読まないし、ボードレール なんて名前も知らないだろう」といってそれを否定するのですが、矛盾してしまいますね。 ダグラス・サークが適当なのか、これまたB級映画のご都合主義故なのかはわかりませんが。 ちなみに嫉妬がなぜ緑色の目なのかは、いろいろな要素と言語の歴史がからまっているようなのですが、一例として、猫がしとめた獲物をもてあそぶことから、愛するゆえの残忍さ、嫉妬心と結びつき、猫の特徴である緑色の目が「嫉妬心」の象徴となった、という面白い由来があります。 &br;&br; &tag(映画の中の詩);