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私家版まざあぐうす


ひとりぼっちの王様がいて
ひとりぼっちの王国を支配していました
ひとりぼっちのテーブルで
ひとり占いをしました
ひとりぼっちの道化師をみつけて
ひとり芝居をさせようか
ひとりぼっちの音楽家をみつけて
ひとり寝の子守歌を作曲させようか
ひとりぼっちの王様がいて
ひとりぼっちのお城の塔で
ひとりよがりの詩をかきました
ひとりとはどんな鳥でしょう?お嬢さん
ひとり暮らしのばあさんの
ひとり娘がその詩をよんで
ひとり合点で涙をながしました
ひとりぼっちの王様はかなわぬ恋をしておいで
ひとりをのこらずあつめても
非と理はいっしょになれぬもの

ひとり歩きは気をつけて お嬢さん
ひとり遊びはやけどのもと!



君とわがたましい堕ちること知らず王の兵士も馬もまどろむ



という自作の短歌があるのですが、これはマザーグースのなかでももっとも有名な唄のひとつを下敷きにしています。

Humpty Dumpty sat on a wall,
Humpty Dumpty had a great fall.
All the king's horses,
And all the king's men,
Couldn't put Humpty together again.

ハンプティ・ダンプティ へいにすわった
ハンプティ・ダンプティ ころがりおちた
おうさまのおうまをみんな あつめても
おうさまのけらいをみんな あつめても
ハンプティを もとにはもどせない
          (谷川俊太郎 訳)



この唄はなぞなぞになっていて答えは「たまご」なのですが、そういうなぞかけを越えてこの唄がひとびとをひきつけハンプティ・ダンプティがスターになってしまった(たとえば『不思議の国のアリス』におけるように)原因を平野敬一さんは

「卵が崩壊するというのは、ある既存の秩序の解体であると同時に、ある新しい生命の誕生をも象徴する。古代の創世神話にみられる世界卵(あるいは宇宙卵)も、どこかでこのハンプティー・ダンプティーの卵とつながってくるのである」

   (『マザー・グースの唄』平野敬一著/中公新書)



として「伝承童謡がもっている民族の集団的無意識とのつながり、その土俗性や不可解性」の魅力を指摘しています。


昨年『マザーグースって残酷』(二見文庫)という本を書店でみつけ、さっそく購入して読んでみました。このごろ、大人のための童話とか、グリム童話はほんとは残酷なのだ、とかいった本がベストセラーになっていますが次はマザーグースというわけだろうか、と思ったのですが、たいした話題にもならなかったようですね。


その本によると有名な「ロンドン橋が落っこちる、落っこちるマイフェアレディ」の唄の“マイフェアレディ”というのは橋を架けるときに、いけにえの人柱にされた娘のことではないかと言われているとか。
他にもいわくありげな唄がいっぱいあって、こういうおもしろい世界をこどもたちだけに独占させておくことはない、というわけで英米ではマザーグースはかならずしもこどもたちだけのためのものとは考えられていないようです。
聖書とシェークスピアに次いで多く引用されるのがマザーグース、といわれるくらいに世代をこえて英米人に浸透しているそうですが、日本ではまだまだマイナーなんでしょうか。


上記のぼくの短歌にしても、なんでいきなり王の馬だの兵士だのがでてくんの?という感じをほとんどのひとに与えてしまうんだろうなあ、と思います。
ぼく自身もべつにおさないころからマザーグースに親しんできたというわけではなく、(たぶんマザーグースのファンの多くがそうだと思うのですが)二十年ほど前、谷川俊太郎訳の『マザーグースのうた』がベストセラーになったのがマザーグースを意識するようになったきっかけでした。


谷川訳がきっかけとなっておこったマザーグースのブームのなかで、さまざまな人が翻訳を試みましたが、亡くなった寺山修司もユニークな解釈で訳した絵本をだしています。それとは別に「ぼくの作ったマザーグース」という創作詩編も発表しました。
ぼくが自分流のマザーグースをつくりはじめたのは、それをマネしてみようと思ったのがきっかけです。
しかし、マザーグース風にまとめるのが意外に難しく、満足できるものはなかなかできません。これからいくつぐらいできるかわかりませんがすこしづつでもここに発表していけたらな、と思っています。

だれのものでもない こころをくれるかい?
パセリにセージにローズマリーにタイム
はじめてせかいを みるような
だれのものでもない めをひらいて
そうすればきみは ぼくのたましいのひと

だれのものでもない ほしをかぞえてくれるかい?
パセリにセージにローズマリーにタイム
はるかなたかみに めをこらし
だれのものでもない ゆびをさして
そうすればきみは ぼくのたましいのひと

だれのものでもない とちにうめてくれるかい?
パセリにセージにローズマリーにタイム
しろいおはかに そのゆびで
だれのものでもない なまえをかいて
そうすればきみは ぼくのたましいのひと


わたしはもともと だれのものでもない おんなよ
パセリにセージにローズマリーにタイム
ゆびわをはずして おはじきあそび
だれのものでもない あしたがまってる
そうすればあなたは わたしのたましいのひと



(上の詩の元ネタです)

Can you make me a cambric shirt,
Parsley,sage,rosemary,and thyme
Without any seam or needlework?
And you shall be a true lover of mine.

Can you dry it on yonder thorn,
Parsley,sage,rosemary,and thyme
which never bore blossom since Adam was born?
And you shall be a true lover of mine.

Now you've asked me questions three,
Parsley,sage,rosemary,and thyme
I hope you 'll answer as many for me,
And you shall be a true lover of mine.

Can you find me an acre of land,
Parsley,sage,rosemary,and thyme
Between the salt water and the sea sand?
And you shall be a true lover of mine.

Can you plough it with a ram's horn,
Parsley,sage,rosemary,and thyme
And sow it all over with one peppercorn?
And you shall be a true lover of mine.

Can you reap it with a sickle of leather,
Parsley,sage,rosemary,and thyme
And bind it up with a peacock's feather?
And you shall be a true lover of mine.

When you have done and finished your work,
Parsley,sage,rosemary,and thyme
Then come to me for your cambric shirt,
And you shall be a true lover of mine.


ぼくにつくってくれるかい きぬのシャツ?
パセリにセージにローズマリーにタイム
はりもつかわず ぬいめもなしで
そしたらきみはまことのこいびと

それをあらってくれるかい むこうのいずみで?
パセリにセージにローズマリーにタイム
みずもわかない あめもふらないあのいずみで
そしたらきみはまことのこいびと

それをほしてくれるかい むこうのいばらに?
パセリにセージにローズマリーにタイム
アダムとイヴのそのむかしから はなをさかせぬそのいばらに
そしたらきみはまことのこいびと

あなたはたずねた みっのといを
パセリにセージにローズマリーにタイム
あなたもわたしに みっつこたえて
そしたらあなたはまことのこいびと

みつけてくれる 1エーカーのとちを?
パセリにセージにローズマリーにタイム
うみのみずとすなのあいだに
そしたらあなたはまことのこいびと

それをすいてくれるかしら ひつじのつので?
パセリにセージにローズマリーにタイム
そしてぜんぶにたねがまける ただひとつぶのこしょうの みで
そしたらあなたはまことのこいびと

それをすっかりとりいれられる かわのかまで?
パセリにセージにローズマリーにタイム
くじゃくのはねで たばねてくれる?
そしたらあなたはまことのこいびと

しごとがみんなおわったら
パセリにセージにローズマリーにタイム
わたしのもとにいらっしゃい きぬのシャツをうけとりに
そしたらあなたはまことのこいびと&br
      (谷川俊太郎 訳)



サイモンとガーファンクルの『スカボロー・フェア/詠唱』によって、われわれ非英語圏の人間にもよくしられた唄。ごく初期のボブ・ディランも、この唄をもじって『北国の少女』という美しいバラッドを書いているので、ポール・サイモンはそれにならったのかもしれない。


なまえなんてわすれちゃえ かあさんによばれるまでは
さんすうなんてわすれちゃえ おこずかいをもらうまでは
かみさまなんてわすれちゃえ おはかにはいるまでは
おしまいなんてわすれちゃえ つづかなくなるまでは


はなせばわかるというけれど
はなせばわかれもあるだろう
いとのきれたたこみたい
いどのそこにこころをしずめて
きんのつりばりのみこんだ
さかなをさがしにいきましょう


ほしのかずほどことばがあれば
ほしにみんななまえをつける


もしせかいじゅうのきをきりつくしたら
きというもじがじしょからきえるだろう

もしせかいじゅうのやまをけずったら
やまというもじがじしょからきえるだろう

もしせかいじゅうのうみをうめたら
うみというもじがじしょからきえるだろう

もしせかいじゅうのまちがもえたら
まちというもじがじしょからきえるだろう

もしひとがじぶんのことだけかんがえたら
ひとというもじがじしょからきえるだろう

もしこのよからじしょがなくなったら
せかいにいみはなくなるだろう


関連リンク

_Link_MotherGoose『北原 白秋訳「まざあ・ぐうす」[青空文庫]
_Link_MotherGoose大好き!マザーグース
Tag: マザー・グース