MUMONKAN/巖喚主人

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【第12則】


   十二 巖喚主人

瑞巖彦和尚、毎日自喚主人公、復自應諾。乃云、惺惺着。■(ダク/ふしづくり+若)。他時異日、莫受人瞞。■■(ダク)。
無門曰、瑞巖老子、自買自賣、弄出許多神頭鬼面。何故。■(ニイ)。一箇喚底、一箇應底。一箇惺惺底、一箇不受人瞞底。認着依前還不是。若也傚他、惣是野狐見解。

    頌曰
  學道之人不識眞  只爲從前認識神
  無量劫來生死本  癡人喚作本來人




  十二 巌(がん)、主人を喚ぶ

瑞巌彦(ずいがんげん)和尚、毎日自ら「主人公」と喚び、復た自ら応諾す。乃ち云く、「惺惺着。■(だく/諾、の古字)。他時異日、人の瞞(まん)を受くること莫(なか)れ。■■(だくだく)」。


無門曰く、「瑞巌老子、自ら買い自ら売って、許多(そこばく)の神頭鬼面(しんずきめん)を弄出(ろうしゅつ)す。何が故ぞ。■(にい)。一箇の喚ぶ底、一箇の応ずる底。一箇の惺惺底、一箇の人の瞞を受けざる底。認着(にんじゃく)すれば、依前(いぜん)として還って不是。若也他(もしかれ)に傚(なら)わば、惣に是れ野狐の見解(けんげ)ならん」。


    頌に曰く
学道の人真を識らざるは、只だ従前より識神(しきしん)を認(と)むるが為なり。
無量劫来(ごうらい)生死の本(もと)、痴人喚んで本来人(ほんらいにん)と昨(な)す。




   彦和尚というひとがいた。毎日、自分自身を呼んでは自分で応えていた。


   『おい、主人公』『ハイ、ハイ』
   『メを覚ませよ』『ハイ、ハイ』
   『ダマサレルなよ』『ハイ、ハイ』


これは、『アンタの人生の主人公はアンタ自身だよ』というような人生訓と思ってもらっては困る----と、ある本に書いてあった。そんなんでなしに、主客一体の絶対主体ナノデアル----んですと」
「呼ぶモノも呼ばれるモノも、すべては”ひとつ”というんやね。しかし、そう言われても、この公案からそんなこと読みとれるかね?」
「まあ、参禅すれば?でもべつにそんなふうに読まんとアカン、ということはないと思うけど。無門も『マネするやつは野狐禅野郎さ』と言ってるではないか」


「J・L・ボルヘスに『円環の廃墟』という短編があるけど、どうかな?。ある魔術師が夢のなかで造った男を現実の世界に送り出すんやけど、じつは魔術師自身も何者かの夢の造形物にすぎなかったことが最後に明かされる」
「ボクも読んだけど、その”何者か”にしたって夢なのか現実なのかサダカではないわけや」
「主といい客といい、あるいは絶対主体といえども、ぜんぶ、かりそめのモノと違うか。ボルヘスのコトバを借りれば、『脈絡がなく、すばやく過ぎていく素材を鋳型に入れるのは、人間のなし得るもっとも困難な仕事』であり、『あらゆる謎を解いたとしても』、『それは、砂で縄をなったり、表のない貨幣を風で鋳造したりすることよりも、はるかに困難な仕事』なのだ」


  『ぼくの?』  まど・みちお

ぼくの 犬(ポチ)?
ぼくの チューリップ?
ぼくの 友だち?
ぼくの 母?
ぼくの からだ?
の ぼくの 切り傷?
ぼくの 力?
で走る ぼくの 自転車?
を買ってくれた ぼくの 父?
がつけた ぼくの 名まえ?
ぼくの 生まれた日?
ぼくの 生まれなかった日?
ぼくの 心?
の ぼくの ほんとう?
おお
ほんとに ほんとうらしいのは
ぼくの ?
?の ぼく?
?の ?

   1998/12/02


十三【徳山托鉢】