追悼・田村隆一

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Essays

  四千の日と夜  田村隆一

一篇の詩が生れるためには、
われわれは殺さなければならない
多くのものを殺さなければならない
多くの愛するものを射殺し、暗殺し、毒殺するのだ


見よ、
四千の日と夜の空から
一羽の小鳥のふるえる舌がほしいばかりに、
四千の夜の沈黙と四千の日の逆光線を
われわれは射殺した


聴け、
雨のふるあらゆる都市、鎔鉱炉、
真夏の波止場と炭坑から
たったひとりの飢えた子供の涙がいるばかりに、
四千の日の愛と四千の夜の憐みを
われわれは暗殺した


記憶せよ、
われわれの眼に見えざるものを見、
われわれの耳に聴えざるものを聴く
一匹の野良犬の恐怖がほしいばかりに、
四千の夜の想像力と四千の日のつめたい記憶を
われわれは毒殺した


一篇の詩を生むためには、
われわれはいとしいものを殺さなければならない
これは死者を甦らせるただひとつの道であり、
われわれはその道を行かなければならない



<戦後詩を代表する詩人の田村隆一(たむら・りゅういち)氏が26日午後11時27分、食道がんのため東京都目黒区の病院で死去した。75歳。>


田村隆一の詩を初めて読んだのは高校生のころだ。直接にではなく、だれかのエッセイに引用されたものだったと思う。

                    不意に
歓喜と絶望とが 精神と情熱と 自由と必然と 死と肉欲とが彼の部屋に
 君臨する
お母さん! 私の文明が襲撃されている!
                          (「部屋」)



おお、カッコエー!というのが第一印象だった。

保谷はいま
秋のなかにある ぼくはいま
悲惨のなかにある
        (「保谷」)



当時、ぼくは西脇順三郎の詩と詩論に惹かれていたが、同時に自分が詩を読み出すきっかけとなった谷川俊太郎もあいかわらず愛読していていた。
そして西脇の方法論と谷川の感性を統合するような存在として田村隆一を捉えたように思う。

窓のない部屋があるように
心の世界には部屋のない窓がある
          (「Nu」)



などというあからさまな詩的思考の連続は、マネをするにも都合がよかった。
とうぜんそんなレトリックばかりに気を取られていたので

言葉なんかおぼえるんじゃなかった
言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きていたら
どんなによかったか
              (「帰途」)



などという詩句の深い意味には思い至るはずもなかったのである。

言葉のない世界を発見するのだ 言葉をつかって
真昼の球体を 正午の詩を
おれは垂直的人間
おれは水平的人間にとどまるわけにはいかない


             (「言葉のない世界」)



その後ぼくは“垂直的”な詩を息苦しく感じるようになってしまい、だんだん“水平的”な人間になってゆき、それににしたがって、田村の詩からも遠ざかってしまった。

わたしの屍体を地に寝かすな
おまえたちの死は
地に休むことができない
わたしの屍体は
立棺のなかにおさめて
直立させよ
         (「立棺」)



それから十数年、最近になって詩を書き始め、昔読んだ詩集を読み返す機会も持つようになった。が、多くの詩人たちの詩にむかしほど感動できず、いいとも思えなくなってしまっていた。しかし、そんななかで田村隆一だけはあいかわらず「かっこよかった」。そして「ホンモノダナ・・・」と思った。

君がもし
詩を書きたいなら ペンキ塗りの西武園をたたきつぶしてから書きたまえ
詩で家を建てようと思うな 子供に玩具を買ってやろうと思うな 血統書づきのライカ犬を飼おうと思うな 諸国の人心にやすらぎをあたえようと思うな 詩で人間造りができると思うな
詩で 独占と戦おうと思うな
詩が防衛の手段であると思うな
詩が攻撃の武器であると思うな
なぜなら
詩は万人の私有
詩は万人の血と汗のもの 個人の血のリズム
万人が個人の労働で実現しようとしているもの
詩は十月の午後
詩は一本の草 一つの石
詩は家
詩は子供の玩具
詩は 表現を変えるなら 人間の魂 名づけがたい物質 必敗の歴史なのだ
いかなる条件
いかなる時と場合といえども
詩は手段とはならぬ
君 間違えるな
                       (「西武園所感」)



これらのホンモノの詩に、十代のこれから感受性の扉を開こうとしていた時期に出会えたことを幸運に思い、感謝したい。


田村さん、ありがとう。
さようなら。


                   (初出:1998.8 @ニフティ現代詩フォーラム>)