されど、死ぬのはいつも他人

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Essays

  • 2005/1/17(月)

あれからちょうど十年ということで、メディアなどで阪神大震災を振りかえる多くの特集が組まれたりしています。
思い出されるためにはいちど忘れられなければならない、なんて寺山修司は書いていたけれど、こうやって思い出され、そして明日にはまたすっかり忘れられてしまうのでしょう。

神戸では震災以後に生まれたり住みついたりしたひとが人口の20%を超えたといいます。懐古的に語られるのもしかたがないことなのです。しかし、被災者にとって震災は一年ごとに振りかえるようなことではなく、今なお日々の生活を圧迫しているし、表面上は穏やかでも精神の深いところはいまだに揺れは続いているのです。


高橋康也は『ノンセンス大全』(晶文社)で、

When is a door not a door? (ドアがドアでなくなるときはどんなとき?)
When it is a -jar. (半開きのとき)



という、《半開き(アジャー)》と《壺(ア・ジャー)》による地口のなぞなぞを紹介して次のように言います。

「われわれは当然のように《ドア》という言葉を、《ドア》という《音(シニフイアン)》(口承民謡では書かれた字の《形》としての意味するもの(シニフイアン)は問題にならない)と《もの(シニフイエ)》が一致した《記号(シーニユ)》と思いこんでおり、この記号の不変の同一性を信じて疑わない。


ところが、いま、たまたま《半開き(アジャー)》という言葉と《壺(ア・ジャー)》という言葉の《音》が同じであるという偶然性のために、《ドア》は一挙に同一性を失い、《壺》に変身してしまうのである。


この魔術はいわば三次元と二次元に股をかけたところに成り立っている。つまり、われわれはふつう《音》が《もの》に裏打ちされた厚味のある三次元世界に住んでいるのだが、ここでは両者を結ぶ必然的と見えた絆は断たれ、世界は一瞬平っべったい《音》だけの二次元世界に変り、次の瞬間、その《音》を回転扉としてさっきとは別の三次元世界に送り込まれた自分自身を、われわれは発見する。アリス的なこの別次元への突入は、われわれを不安なめまいに陥しいれる。自分が安住していた《安定した記号の体系》が瞬時にして覆えされたからである。

そしてもちろん、その《めまい》は不安のそれであるとともに、「自同律の不快」(埴谷雄高)と日常性の桎梏から解放された痛快さでもある。

共同体の全秩序が言語という記号体系の安定性に依拠している以上、なぞなぞは反体制・秩序攪乱の危険を秘めていると言わなければなるまい。」


なぜ、唐突にこんな文章を引用するのかというと、この「アリス的」感覚が、ぼく自身の震災体験と奇妙に一致するからなのです。
以下は五年前にニフティ時代の「現代詩フォーラム」にぼくが投稿した文章です。


  フォーラム名:<現代詩フォーラム

  会議室名  :( 18 )【水色の壁】ワードホリック天国

  発言番号  :980

  発言者   :CXQ01152 藤原 実

  題名    :神戸より / 藤原実

  登録日時  :00/01/17 23:05




        街(神戸より)


       記憶の中の森で
       一羽の鳥が巣立ちする
       遙かな大陸に向かって


       記憶の中の街で
       柔らかい雨が舗道を濡らす
       恋人たちを祝福して


       あの火曜日の朝
       私たちの街は一瞬で崩れ去った
       あの日から
       私たちは記憶の中に生きはじめた


       記憶の中の瓦礫
       記憶の中の残骸


        六千の死と
       六千の運命の重み
       そのいたましさも
       その悲惨も
       私たちと共にある
       なぜなら
       六千のいたましさも
       六千の悲惨も
       私たちと共に
       同じ記憶の中の街に埋もれている


       あの火曜日の朝
       街は私たちの記憶の形ごと
       一瞬で崩れ去った
       あまりの出来事に
       あまりのあっけなさに
       私たちはむしろ笑うしかなかった


       本当の悲劇は
       本当の非現実だ
       本当の悲劇は
       本当の喜劇だ


       私たちはまるで道化師のように
       好奇の目にさらされて
       次の日には忘れ去られた
       記憶の中を墜落していく
       綱渡りの少女のように
       震えているしかなかった
       サーカスのテント小屋の中で


       記憶の中の海
       記憶の中の風


       けれど私たちは
       いつまでも震えているわけにはいかない
       記憶の中で時は止まり
       街は永遠の輝きを放っているけれど
       私たちは
       六千のいたましさと
       六千の悲惨を
       ひとつひとつ数え始めなければならない
       時を刻む針で縫い合わせなければならない
       この悲劇と喜劇をひとつのものとして
       未来の私たちの街の敷石として
       しっかりと誤りのない位置に
       置かなければならない


       記憶の中の空
       記憶の中の雨


       記憶の中の森から
       一羽の鳥が
       海を越えて
       私たちに向かって飛んでくる
       六千のいたましさと
       六千の悲惨をくぐりぬけた
       不死の魂をもって




             (初出:1998/01/31 【赤の部屋】#1771 )




五年の歳月が過ぎ、被災体験がぼくにどんな影響を与えたかを、いまあらためて語るべきか。いや、語るべきなのだ。けれどもいかに語るべきか?


神戸の街は姿を変えつつある。ぼく自身がいま住んでいる「復興住宅」というのも、そのひとつの象徴だろう。住み慣れた地域を離れてここにやってきたのだが、そのこともふくめて震災によってぼくの生活は一変した。けれどもぼくがいま語りたいのはそういうことではない。あの日、ぼくを襲ったあの不思議な感覚、そしていまもぼくを揺らし続けているあの感覚------について語りたい。そのことが、いまぼくが詩を書いている最大の理由なのに違いないのだから。


ぼくは二年前に十数年ぶりに詩を書きだした。上の『街(神戸より)』は詩作を再開後すぐに書いたものだ。とにかく震災体験を詩にしなければ、という思いがあって書いたが書き終えてすぐに「これは違う」と思った。違う、書きたいのは語りたいのはこういうものではない。この詩にはあの時のあの感覚が出ていない----。




       『街裏』 北川冬彦


      両側の家がもくもく動きよつて
      街をおし潰してしまつた


      白つちやけた屋根の上で
      太陽がげらげら笑ひこけている




処女詩集を『三半規管喪失』と名づけた北川冬彦は『私の詩作を習作から一応離れさせたのは関東大震災が私に与えたショック(衝撃)である』としながらも、同時に『震災で大ショックを受けながらも、私は震災風景の詩は一つも書いていない。この詩(『共同便所』)にも、震災が与えたダダ的な雰囲気は見られるが、震災の情景は少しも出ていない。』とも書き残している。ぼくは思う。北川もきっと「違う」と感じたのだろう、と。




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    質問3 ランボーは『私とは他者なのだ』と言ったそうです。その場合「他
      者」とは原因なのでしょうか?結果なのでしょうか?


  ** 「私」がどのような位置づけによるかで原因と結果の両方の可能性がある。
     (Yさん)


  ***「私」の位置づけ、ということに関連して、ぼくの体験を少し-------。
      震災の当日、ぼくは昔住んでいたところを何ヶ所か訪れたんですが、ど
      こもみごとに崩れさっていて、自分のアイデンティティが崩壊してゆく
      ような喪失感を味わったんです。
      そのとき感じたのは、人間は以外に「もの」によってささえられている
      部分があるんだなあ・・・ということでした。アイデンティティという
      と普通、自己の内面の普遍的なものばかりを考えがちだけど、外部の 
     「もの」にもそれはあるんではないか。形在る物ははかないけれど、その
      形在る物によっても人間はささえられているのでは・・・。
      それ以来、コップだってスプーンだって「私」の一部でないとはいいき
      れない、と考えるようになったのです。
      (藤原)


      (1998/07/22 【水色の壁】#228「RE:回答【詩人たちへの16質問】」)


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それまでのぼくはじぶんの「内面」がすべてだった。外の世界なんて二の次だった。「ほんとうのわたし」を探して、ひたすら内面への孤独な旅を夢見ているようなヤツだった。
けれどじぶんが幼い頃から見慣れ、知り尽くしていた町並みがことごとく崩壊しているのをまのあたりにしたときのあの感覚------。


それはものすごいチカラで足払いを食わされてカラダは宙に舞った・・・・・・。それなのに地面に叩きつけられるはずのじぶんのカラダが、なぜかそのままふわふわと宙に浮いているのである。そんな感覚。
あの不思議な浮遊感。それにつつまれながらぼくは数日間、ただ街を歩き回っていた。
あれは夢だったのか?いや、そうじゃない。あれこそrealityというものだ。


あの感覚をわすれずに持ち続けること。そのことによってだけ、ぼくは世界から眼をそらさずにいることができるのだ。




      舎利子みよ空即是色花ざかり   小笠原長生




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       マグニチュード




     ある日・・・・・・。


     ぐらぐらと地球がゆれました。
     ゆれがおさまったとき、僕はたいへんなことに気づきました。
     じぶんの名前をおとしてしまったのです。
     あわてて拾い集めてみると、それはほかの誰かの名前でした。
      まわりを見るとみんな必死になって名前をさがしています。
     「これも違う、あれも違う」と拾ってはまた捨てるので、とうとう世界中
     の名前が混ざり合ってしまいました。
     おそろしいことにアタマの中まで、みんなごちゃまぜになってきて、誰か
     知らない人が僕のアタマの中でヒステリーをおこしたりするのです。
     「このままでは僕がいなくなってしまう」
     僕はいそいで家に帰ると、卒業アルバムを開きました。とたんに名前とい
     う名前がバラバラと、アルバムからこぼれおちました。
     「電話帳だ!」と僕はすばらしい思いつきに興奮しました。でもすぐに僕
     の顔は青ざめていきました。
     そのころ街中の電話ボックスの前には、名前のこぼれおちた電話帳を持っ
     た人たちが、ぼうぜんと立ちつくしていました。
     ひとりの男がボックスごと、電話帳を燃やしてしまいました。それを合図
     に世界中の電話ボックスが燃え上がりました。べつの男は番号案内に電話
     しましたが、「その番号の持ち主は現在行方不明です」と冷たくあしらわ
     れ、怒って電話局を燃やしてしまいました。それを合図に世界中の電話局
     が燃え上がりました。
     区役所では戸籍台帳に放火されてしまいました。もちろん世界中の役所と
     いう役所は燃え落ちました。
     通知表が燃え、名刺が燃え、定期券が燃えました。
     学校が燃え、会社が燃え、駅が燃えました。
     保健証が燃え、クレジットカードが燃え、投票用紙が燃えました。
     病院が燃え、銀行が燃え、国会議事堂が燃えました。
     テレビ局が燃え、寺社が燃え、図書館が燃えました。
     およそ文明と呼べるものは、すべて燃え尽きました。


     いま僕は、公園のベンチに裸で寝そべっています。服は燃やしてしまいま
     した。ネーム入りのいっちょうらの背広だったのですが・・・。
     アパートは表札と一緒に、隣の奥さんが燃やしてしまったし。
     まどろむ意識の中で、僕は考えます。
     「もし次に大地震が起こったら、こんどは僕も燃えてしまうだろうか?」
     そのとき、世界中の人たちが一斉にわめきました。


     「よせやい!<僕>って、誰のことだよ。勝手なこと言うなよな」




                   (初出:1998/02/18 【赤の部屋】#1844)




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震災にまつわる悲劇を記した詩がときに紹介される。感動的なものが多い。だが失礼な言い方になるがそれらは「メディア向け」の詩なのだ。つまり、「思い出される」詩なのだ。

ぼくが読みたいのは、こころのなかでいつまでも揺れ続ける詩、けっして「忘れられない」詩なのです。