【わが短歌・俳句入門】<黛まどか>

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Essays


俵万智さんのオフィシャル・ホームページ「俵万智のチョコレートBOX」の連載企画「万智の交遊録」で俳人の黛まどかさんが紹介されていた。

黛さんはたぶん俳句に興味ない人でも顔ぐらいは見たことがあると思う。マスコミへの露出度が多いから。CMにも出てるし(赤井英和が旅先で一句詠んで、携帯で黛さんに聞かせると彼女がにっこり微笑んで「はい、よくできました!」っていうのがあったよね)。

彼女の初句集『B面の夏』(角川文庫) の「あとがき」によると句集が文庫化されるのは実に二十数年ぶりのことだったというから、これは快挙ですねえ。
その、まどかさんに万智さんが「まどかさんには、恋の俳句が多いのですが、それだったらいっそ短歌にしたら?」と言ったら「私の恋は、俳句的なの。すぱっと思いきったら、あとはないのよ」と、まどかさんは答えた。
恋に俳句的な恋と短歌的な恋があるという発想は、おもしろいなあ。でも「すぱっと思い切ったら、あとはないの」が俳句的、というのは違うんじゃないかなあ。

恋、に関してはぼくはわからんけど(不粋なもんで・・・・・・)俳句的ということなら、切ったと思ってたら思いもかけぬ処にあらわれていた、つきはなしたつもりが出逢ってしまった、というような矛盾を包含するのが俳句的発想ではないだろうか。

恋の句、といえば今だったらすぐ思い浮かぶのが鈴木真砂女だろう。

羅や人悲します恋をして
冴え返るすまじきものの中に恋
人と遂に死ねずじまひや木の葉髪



などなど。でもこれらの恋の句が「すぱっと思い切ったら、あとはない」ものとはとても思えない。橋本多佳子の

雪はげし抱かれて息のつまりしこと  
螢籠昏ければ揺り炎えたたす



も同様。あと、それは恋の句じゃあないだろうと言われてしまうかもしれないけれど

この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉   三橋鷹女



も仮に恋の句として解釈してみると、恋は女を鬼にもする凄まじさで、まどかさんの恋とはずいぶん違う。だから、なんでもかんでも俳句的、と言わないほうがいいように思う。影響力が大きいのだから(なにせ今いちばんメジャーな俳人だ)。

でも『B面の夏』に関しては、ぼくはおもしろく読めた。句集のタイトルにもなっている

旅終へてよりB面の夏休



に関して詩人の清水哲男さんは

頭でつくった句の典型。下手な句ではないが、この程度の発見で満足してもらっては困る。この国の詩歌が困ってしまう。いかにも、イマジネーションがひ弱いのだ。
      (『増殖する俳句歳時記』)



と、なにかやたらとこまっていらっしゃるが、そうかなー。

兄以上恋人未満掻氷
香水を一振り旅の終止符に
遠花火別れの言葉だと思ふ
秋風がめくる心の一ページ



などは確かに首を傾げたくなるけれど・・・

別れ来て夕焼に置くイヤリング
遠雷や夢の中まで恋をして
恋終わる九月の海へ石抛げて



などは悪くない。

鳥帰る一途といふははかなけれ
羅にきつと涙の似合ふひと
星涼しここにあなたのゐる不思議



これは真砂女風、万智風かな?ぼくが好きなのは

道化師の泪は三つぶ鳥雲に
あきらかに大穴狙ひパナマ帽
虹の輪をくぐって届くエアメール
やどかりの宿を抜け出す星の恋
飛ぶ夢を見たくて夜の金魚たち
大切なもの皆抱え冬に入る
妹を泣かして上がる絵双六      



といったところです。



    (初出:1998.8 @ニフティ現代詩フォーラム>)

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Tag: 俳句